西洋音楽にしろ、三味線音楽にしろ、それが作られた当時には、車や電車、バイクなどはなかった。
考えてみれば電子音なんかもなく、工事のドリルの音や、警報音、電子時報音などもなかった。
想像してみると、かつての世界は今よりも、ずっと静かだった。
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鳥の雛の鳴く声、葉の擦れる音が聴こえていたかつての世界、サロンや教会、座敷や料亭で演奏される、ピアノ、オーケストラ、合唱、あるいは三味線音楽は、いまと異なり、たいへんな影響を、わたしたちの耳にもたらしたはずだろう。
オーケストラ団員全員がいっせいに楽器を鳴らすその音圧は、観客を圧倒し、合唱がもたらす音の空気振動は、今よりも敏感に信者たちを暖かくつつみ、三味線が奏でる繊細な音は、今日よりもはるかに耳の奥の深いところまで入り込み、延いては心にふれたのだろう。
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ここまで大きな音、なかには騒音と呼ばれるものが溢れている時代、いっぽうで「騒音音楽」なども誕生したとはいえ、この騒音がなかった時代に聴こえていたように音を聞くのは難しい。
大きな音に慣れてしまった私たちは、もっと大きな衝撃を得たであろう大合奏の音楽に、驚けなくなり、大きな音に慣れてしまった私たちは、もっと耳の奥まで入り込むはずの繊細な音に気付くことができなくなってしまった。
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だからといって、いま、大音量の衝撃を得るために、大きな音で、観客を圧倒すればいいというはずはない。
楽器には、その楽器がもつ、最適な音量があるはずだからだ。
あの小さな箱から、その箱以上の響きをヴァイオリンが出すことはできず、無理に出そうとするならばたちまち、美術品ともいえるその楽器は、騒音を立てながら壊れてしまう———。
あまりに大きな音が多い時代、そんな音がなかった頃の音楽を再現するには、どうしたらいいのだろう。かつての音楽がもっていた、あの影響力、あの<引き込み>を認識するには、どのようにしたらいいのだろうか。